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経営者への道
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2020年02月28日(金)更新
生い立ち
去年解散された盛和塾で発表させて頂きました原稿です
自分の生い立ちと弊社の歴史がリンクでき
いい体験になりました
折角の原稿なのでここでできるだけシェアさせて頂きます
昭和46年7月10日に創業65年の弊社の歴史上、最大の事件が起こりました。
私はまだ4歳で幼稚園の夏でした。
私が幼稚園に入園前「隣のお兄ちゃんと同じ幼稚園に行きたい」
と言い出した事がきっかけ、
その幼稚園がサラリーマンでの父の給料では学費が払えず・・
そのためすでに他界した創業者の祖父が他人に名義貸ししていた
一般廃棄物収集運搬業の城東衛生、
父が継ぎたくなかった「ゴミ屋」を始めることになりました。
当時お得意先も少なく、父1人で事業を行っておりました。
その父が運転していたトラックが坂道で急にブレーキがきかなくなり
信号待ちをしていたトラックに激突をしてしまいました。
幸い一命は取りとめられたものの救急病院で気を失い
左足は骨だけ残っている状態でした。
20代の母は4歳の息子の私と取り残された状態で「明日からどうするか?」
を決めないといけない状況になりました。ゴミ回収は休みなし。
待った無しの決断を母は迫られていました。
その時、アルバイトに来ていたお得意様の工場長の息子さんに相談したところ、
「よしわかった」とその日に会社を辞めて、弊社に来る決断をして頂きました。
また同時に20歳の父の甥もその日に一緒に入社していただくことになり、
事故したトラックを引き上げ次の日から同業他社に車を借りて事業が継続されました。
その後父は気をとり戻しましたが結局足をつなぐため一年間入院することになり、
その間お二人で収集作業、集金、新規客開拓までやって頂きました。
その時以来、事あるごとに母は私に従業員に対し「感謝しいや」といいつづけ、
この事が私の今の経営者人生としての考え方の土台となっております。
2020年02月13日(木)更新
野村克也氏を偲んで
今思い出すと高校の卒業式か入学式に
ご講演して頂いた事を思い出しましたのですが
それくらい
今まであまり興味がなく知りませんでした。
ただ
スポーツ新聞の紙面上のみなさんの野村氏 に対してのコメントが
すごく温かく凄い方だったんだと改めて思いました。
「勝ちに不思議な勝ちあり負けに不思議な負けはない」
など
名語録がありますが
僕は
「金を残すは下、業を残すは中、人を残すは上」
が好きでまさに野村氏は実践された方なんだと思います。
という事で新聞を読んで
「やっぱり人を残すのが自分の使命」
今までちょっとサボり気味だったのを反省して
部下をしっかり彼らのために指導しようと決意。
そして矢先
全社員の日報をチェックしていたら
1月29日以降日報を書いていない社員を発見・・・
弊社の社員は優秀なので
僕が決意した瞬間にすぐ失敗をやってくれます。
こちらが試されます。
手抜きとは
「人の生活を奪うこと」と経営の師匠が言ってたのを思い出し
それを伝えて
「始末書!」
ただ自分も何か野村氏みたいに
いい言葉がすぐ出せるようになりたいなぁと
思いました。
やっぱり生き方ですね
2020年02月06日(木)更新
ランチェスター戦略
2020年02月05日(水)更新
幸福論
(実際52歳と53歳はあまり変わった実感はありませんが・・)
誕生日は両親に感謝をする日といわれます。
特に母親に感謝しないといけないです。
人間は感情の動物で
ほっておくと感情はマイナスを見るくせがあるらしく
「感謝」はよっぽど意識しないといけませんね
特に両親への感謝は・・
そう思いながら致知2月号を読んでいたら
哲学者アランの「幸福論」の中に
「悲観主義は気分のものであり楽観主義は意志のものである」
とありました。
またあるセミナーでプラス思考は「覚悟」がいる
と言われてました。
僕は人から
「こんな大変な状況なのによく笑ってられますね」
言われたりしますが・・・
ある意味では「覚悟」しているんだぁと
思ったりしました。
また話かわりますが
たまたま「麒麟がくる」をみていて
この時代にも自分のご先祖がいたんだぁと
この頃は15代前くらいかなと改めて調べてみると
10代前はなんと2046人
20代前はなんと209万7150人
すごい数字の「命のバトン」があったとおもいました。
(自分は落としてしまいましたが・・)
誕生日は両親のみならず「ご先祖様」に感謝する日にしたいと思います。
社員さんから嬉しいサプライズプレゼント
ありがたいです
当日は妻と友人のお店でお祝いしていただきました。
感謝の反対語は「当たり前」
いつも一緒にいてくれる妻にも
もちろん感謝を忘れないようにです。
2019年12月29日(日)更新
ジャズのルーツ
「サンセットジャズオーケストラ」
の10周年記念ライブでした
会場は50名あまりの箱でフルハウス!
といってもほとんど知り合いですが・・
私の30代は割と一生懸命仕事に励んでいて
ある会合で同業他社の社長に
「趣味は何ですか?」
と聞かれて
「・・・」
なかったことに気が付いた
のがきっかけです
その社長がクラリネットをされていて
いいなぁと思い
「僕も学生時代サックスがやりたかったんです
でもお金がなくて断念してました」
とお伝えすると
その社長はヤマハで
「大人から始めるレッスン」というがあると紹介してくださりました。
キャチコピーに絆され40歳からスタート
音符もわからず
リズムもわからず
もちろんサックスのサの字もわからず
スタートさせて頂きました。
何故サックスと聞かれますが
とにかく
カッコいい、目立つ、スティングの「Englishman in New York]
が好きで演奏してみたい
それくらいの動機でした
たまたまいい先生にめぐり合わせて頂き
音楽合宿など参加して仲間ができ
今年なんとか人前で演奏できるまで
なりました
今まで
少年時代は「アリス」「横浜銀蠅」
「たのきん」「松田聖子」の歌謡曲
青年になって「ポリス」「プリンス」
「デュラン・デュラン」「マイケルジャクソン」などポップス
が好きでしたが
サックスを始めて「ジャズ」というものをしりました
ジャズはいまだに全然理解できませんが
ルーツを聞くと
アメリカで黒人が奴隷で働かされていた時 やけくそで唄ってたのが「ブルース」
ヨーロッパ白人の貴族がこよなく愛していた「クラッシック」
その2つがアメリカで融合されできた音楽が
「ジャズ」
洗礼されながら泥臭く演奏をする
本当に奥が深いです
本当に先生はじめ仲間や教室のスタッフさんに感謝です
ありがとうございます
サンセットのメンバーです(今年の発表会の写真です)
10周年ライブで最後の最後にソロが回ってきて
かっこよくソロしたかったのですが・・
思い切り外しました・・
メンバーの皆さんすいませんでした
最後妻からは「あんたらしいわ」
もう少しメンタルを鍛えます
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