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2020年09月17日(木)更新

片付け堂 

弊社が加盟している不用品回収・遺品整理サービスの「片付け堂」が
全国のフランチャイズ加盟店舗数ランキングでランクインしました✨
フランチャイズ加盟店舗数ランキングでランクインしました! | アースサポート株式会社


フランチャイズ加盟店舗数ランキングでランクインしました
起業&新規事業の専門情報誌「ビジネスチャンス」の
10月号特集「フランチャイズ加盟店舗数ランキング250」の中に、

222位でランクインしました。


その中の
片付け堂の坂本社長の挨拶文です

私たち片付け堂のテーマは、『少子高齢化の中で増加している不用品回収・遺品整理というニーズに対し、安心して任せていただけるよう地域の一般廃棄物収集運搬業許可を持った会社と全国ネットワークを構築し、研修等を通じて全国どこでも高いサービス品質、良心的な適正価格をご提供する』ことです。私たちの目指す姿は、不用品回収・遺品整理でお困りの全国の方々に対し、安心してお任せいただける社会インフラになることです。「無許可の業者が高額請求をする、違法な処分をすると言った悪いイメージを払拭」し、”不用品回収なら全国どこでも任せて安心な片付け堂”と皆様に覚えていただけるように全力で努力してまいります

 

2020年09月14日(月)更新

老後の運命は54歳で決まる

菅さんが自民党総裁になったとのことです。
本当に70歳過ぎてすごいなぁと思います。

私は現在53歳で

2年前白内障手術もやって・・
物忘れが激しく・・
社長を20年やって・・
最近コロナ禍もあり・・

ちょっと疲れ気味・・

もう人生これでいいかなぁと
思ったりする事がありますが・・

菅さんや岸田さん、石破さんを見ると
もっと元気にならないととおもいます。

ある人が53歳までは
ご先祖の運命
そのあとが自分の切り開く人生とおっしゃられてました。

昭和の大スター
石原裕次郎さんや美空ひばりさんは
共通して52歳でお亡くなりになられたとか

スーパースターはご先祖運が強烈らしく

この自分の人生を変えていこう
生き方を変えようと

思っていたら

この本に出合いました。
老後の運命は54歳で決まる

決断力のある54歳で後半生をどう生きるかを
決めて新しく働く一歩を踏み出すべきだ

と書かれてました。

人生まだまだです。


自分は創業者ではなく
継承者

どちらも大変ですが

創業者の大変さを知ることも大切だと思い
色々事業に手を出しましたが

どれも上手くいかず・・
原因は生き方かもと思っていて


「生き方」を変える時が来たかもしれません。

生き方を変えてもう一度創業にチャレンジするのも
いいかもしれません。

この本の最後に

「いい人生を送ろうと思ってはいけない。なんでもいいから
自分が生きた証を残す人生を往け」

疲れている場合ではないですね。


 

2020年09月02日(水)更新

門外不出の経営ノート

弊社は7月決算です。

コロナ禍で増収増益とはいきませんでしたが
なんとか前年度も黒字で着地できそうです。

本当にお客様はじめ社員の頑張りのおかげだと思って
感謝しかありません。

またここまでこれたのは
株式会社武蔵野の小山昇社長のおかげ
が大きく

3年前まで弊社は赤字続き
(たまに黒字が出る 釣りでいう「浮き」みたいな経営でした)
いつ潰れてもおかしくなく・・

しかし
なぜ赤字かが本当に分からない
ダメ社長でした。
(売上は右肩上がりだったのですが・・)

社員が元気になると黒字になると思って
たくさんのイベントをしたり・・

心がきれいになると黒字になると思って
心の勉強を行っていました。

これはこれで間違いではない
と思いますが

社員の奥さんからは「社長は何がしたいのか?」と
言われる始末・・

そして
経営者として肝心なことが抜けていたことに
小山さんから気づかせて頂きました。

その赤字続きの弊社が黒字会社へ変わった事例が

ダイヤモンド社
小山昇著 「門外不出の経営ノート」に
書かれています。

是非皆様お読みくだされば
私の馬鹿さ加減が分かります。

これで小山さんの本に3回出させて頂きました。
全てネタになるような
抜け抜け社長でネタになるのかと思われます。

経営の師匠に感謝です。


昨年1月にはお忙しい中
弊社にお越し頂き
直接ご指導くださいました。

2020年09月01日(火)更新

片付け堂 大阪店

先日「片付け堂」とフランチャイズ契約を行いました。



これより「片付け堂大阪支店」になります。

片付け堂とは

近年、少子高齢化が進む中で、ゴミ出しや粗大ゴミで
お困りの方が増えてきており、また許可の持たない無許可業者や
料金トラブルなど、多くの問題を抱えてる中

片付け堂は自治体から許可された「一般廃棄物収集許可」を
持つ不用品のプロフェッショナルで、そんなお困りごとを
解決していきます。
「まごころ価格、まごころスタッフ」をスローガンに揚げ、
お客様に明朗金額と安心・信頼を頂けるスタッフ対応を目指しております。

島根県の処理業の会社が立ち上げられ
今現在、全国で北海道から九州まで
許可業者のみで25社程度のネットワークで行っています。

ちなみに
今までやってきた「かたづけ名人」も残します。

ただ「かたづけ名人」12年間やってきましたが

経営計画や管理体制が不十分で
今に至るまで明確な目標や方針を立てられず・・

ブランド化やフランチャイズの夢は
夢のまた夢になっていました。

ここで終わってしまうのでは
と思っていたところ

島根県のアースサポート株式会社様が「片付け堂」の
全国展開でやっていかれる事を聞き

偶然23年前私が親の仕事を継ぐときに
セミナーでお話されていた
私が一番最初に影響を受けた同業の経営者が
アースサポート株式会社の尾崎社長だったので
何か縁深いものを感じて

また同じ志を持たれた上
私よりもっと優れた経営を行ってられているので
フランチャイズ契約をして
勉強させていただこうと思いました。


もう一度やり直して
お客様にお役に立てるサービスを
展開してまいりますので





よろしくお願いしたします。
 

2020年02月29日(土)更新

生い立ち2

父の入院中は従業員2人が海水浴につれて下さり、
運動会にも来て頂き、
その後父は退院すると家の下で事務所を構え、
業務終了後2人の従業員と談笑しながら将棋、

家庭=仕事場の家族会社のスタートとなりました。
また妹も誕生し、家族も新たなスタートとなりました。

小学校に進むとなぜかすべての学年で学級委員長など
推薦され受けることになりました。
学校の通信簿には「茂君と遊ぶと悪い子たちもおとなしくなる」
と書かれていたほど私自身は優等生なのですが、
なぜかやんちゃな子と仲良くしていました。

今思えば現場作業員と調和をするには
すごく役立っている資質だと思っています。

一つ嫌だったことは、自分の父の仕事を作文に書くことでした。
「ゴミ屋」であることを友達には隠して、
運送屋であるとか掃除屋さんと書いていました。

高学年になると友達もわかってきて
「お前の家ゴミ屋やろ」と「ゴミ屋の息子」
と言うレッテルを貼られました。

家では小学校の頃から、父親から
「商売はええで ゴミ屋はええで」と何度も毎晩聞かされ、

集金のお金を私の目の前で数え、ことあるごとに
「一生懸命働かなあかん」と毎日食卓で言っておりました。

そのため当時、従業員も2人ですが「将来は30歳でゴミ屋の社長になる」
と志を立てて土曜日の夜はビルメンテナンスで床やトイレの掃除、夏休み、
年末はトラックの助手をして現場を手伝っていました。


2020年02月28日(金)更新

生い立ち

去年解散された盛和塾で発表させて頂きました原稿です
自分の生い立ちと弊社の歴史がリンクでき
いい体験になりました

折角の原稿なのでここでできるだけシェアさせて頂きます


昭和46年7月10日に創業65年の弊社の歴史上、最大の事件が起こりました。

私はまだ4歳で幼稚園の夏でした。

私が幼稚園に入園前「隣のお兄ちゃんと同じ幼稚園に行きたい」
と言い出した事がきっかけ、
その幼稚園がサラリーマンでの父の給料では学費が払えず・・

そのためすでに他界した創業者の祖父が他人に名義貸ししていた
一般廃棄物収集運搬業の城東衛生、
父が継ぎたくなかった「ゴミ屋」を始めることになりました。

当時お得意先も少なく、父1人で事業を行っておりました。
その父が運転していたトラックが坂道で急にブレーキがきかなくなり
信号待ちをしていたトラックに激突をしてしまいました。

幸い一命は取りとめられたものの救急病院で気を失い
左足は骨だけ残っている状態でした。


 

20代の母は4歳の息子の私と取り残された状態で「明日からどうするか?」
を決めないといけない状況になりました。ゴミ回収は休みなし。
待った無しの決断を母は迫られていました。

その時、アルバイトに来ていたお得意様の工場長の息子さんに相談したところ、
「よしわかった」とその日に会社を辞めて、弊社に来る決断をして頂きました。

また同時に20歳の父の甥もその日に一緒に入社していただくことになり、
事故したトラックを引き上げ次の日から同業他社に車を借りて事業が継続されました。
その後父は気をとり戻しましたが結局足をつなぐため一年間入院することになり、
その間お二人で収集作業、集金、新規客開拓までやって頂きました。

その時以来、事あるごとに母は私に従業員に対し「感謝しいや」といいつづけ、
この事が私の今の経営者人生としての考え方の土台となっております。


2020年02月13日(木)更新

野村克也氏を偲んで

名伯楽といわれる野村克也氏がご逝去されました。
今思い出すと高校の卒業式か入学式に
ご講演して頂いた事を思い出しましたのですが
それくらい
今まであまり興味がなく知りませんでした。

ただ
スポーツ新聞の紙面上のみなさんの野村氏 に対してのコメントが
すごく温かく凄い方だったんだと改めて思いました。

「勝ちに不思議な勝ちあり負けに不思議な負けはない」

など

名語録がありますが

僕は
「金を残すは下、業を残すは中、人を残すは上」

が好きでまさに野村氏は実践された方なんだと思います。

という事で新聞を読んで
「やっぱり人を残すのが自分の使命」

今までちょっとサボり気味だったのを反省して
部下をしっかり彼らのために指導しようと決意。

そして矢先

全社員の日報をチェックしていたら

1月29日以降日報を書いていない社員を発見・・・

弊社の社員は優秀なので
僕が決意した瞬間にすぐ失敗をやってくれます。

こちらが試されます。

手抜きとは
「人の生活を奪うこと」と経営の師匠が言ってたのを思い出し
それを伝えて

「始末書!」

ただ自分も何か野村氏みたいに
いい言葉がすぐ出せるようになりたいなぁと
思いました。

やっぱり生き方ですね

 

2020年02月06日(木)更新

ランチェスター戦略

弊社ではランチェスター戦略を学んでいます。

戦略と戦術は違い
戦略には強者と弱者があるとのこと
何かで一位を取る事が重要。

色々勉強しますが
未だによくわかっていません・・

さて
今週東京出張へいったのですが
行き帰りともによく晴れ
富士山が見事に見えました。


やっぱり「富士は日本一の山」と歌もあり迫力が違います。

思わず手を合わせてしまいます。

で、よくある質問で「二位の高い山は?」

「確か槍岳?」

「三位は?」

「・・・」

「あとは?」

日本に山ほど山はありますが

パッと浮かぶのが


「生駒山」

家から一番近い山です。

やっぱり一番が大切です。

2020年02月05日(水)更新

幸福論

先日おかげさまで誕生日を迎え53歳になりました。
(実際52歳と53歳はあまり変わった実感はありませんが・・)

誕生日は両親に感謝をする日といわれます。
特に母親に感謝しないといけないです。

人間は感情の動物で
ほっておくと感情はマイナスを見るくせがあるらしく

「感謝」はよっぽど意識しないといけませんね
特に両親への感謝は・・

そう思いながら致知2月号を読んでいたら

哲学者アランの「幸福論」の中に

「悲観主義は気分のものであり楽観主義は意志のものである」
とありました。


またあるセミナーでプラス思考は「覚悟」がいる
と言われてました。

僕は人から
「こんな大変な状況なのによく笑ってられますね」
言われたりしますが・・・

ある意味では「覚悟」しているんだぁと
思ったりしました。

また話かわりますが
たまたま「麒麟がくる」をみていて
この時代にも自分のご先祖がいたんだぁと
この頃は15代前くらいかなと改めて調べてみると

10代前はなんと2046人
20代前はなんと209万7150人

すごい数字の「命のバトン」があったとおもいました。
(自分は落としてしまいましたが・・)
誕生日は両親のみならず「ご先祖様」に感謝する日にしたいと思います。


社員さんから嬉しいサプライズプレゼント
ありがたいです

当日は妻と友人のお店でお祝いしていただきました。

感謝の反対語は「当たり前」
いつも一緒にいてくれる妻にも
もちろん感謝を忘れないようにです。



 

2019年12月29日(日)更新

ジャズのルーツ

先日は私の所属している
「サンセットジャズオーケストラ」
の10周年記念ライブでした

会場は50名あまりの箱でフルハウス!
といってもほとんど知り合いですが・・

私の30代は割と一生懸命仕事に励んでいて
ある会合で同業他社の社長に

「趣味は何ですか?」
と聞かれて

「・・・」

なかったことに気が付いた

のがきっかけです

その社長がクラリネットをされていて
いいなぁと思い

「僕も学生時代サックスがやりたかったんです
でもお金がなくて断念してました」

とお伝えすると

その社長はヤマハで
「大人から始めるレッスン」というがあると紹介してくださりました。

キャチコピーに絆され40歳からスタート

音符もわからず
リズムもわからず
もちろんサックスのサの字もわからず
スタートさせて頂きました。

何故サックスと聞かれますが
とにかく
カッコいい、目立つ、スティングの「Englishman in New York]
が好きで演奏してみたい

それくらいの動機でした

たまたまいい先生にめぐり合わせて頂き
音楽合宿など参加して仲間ができ

今年なんとか人前で演奏できるまで
なりました

今まで
少年時代は「アリス」「横浜銀蠅」
「たのきん」「松田聖子」の歌謡曲

青年になって「ポリス」「プリンス」
「デュラン・デュラン」「マイケルジャクソン」などポップス
が好きでしたが

サックスを始めて「ジャズ」というものをしりました

ジャズはいまだに全然理解できませんが

ルーツを聞くと

アメリカで黒人が奴隷で働かされていた時 やけくそで唄ってたのが「ブルース」
ヨーロッパ白人の貴族がこよなく愛していた「クラッシック」

その2つがアメリカで融合されできた音楽が

「ジャズ」

洗礼されながら泥臭く演奏をする
本当に奥が深いです

本当に先生はじめ仲間や教室のスタッフさんに感謝です
ありがとうございます



サンセットのメンバーです(今年の発表会の写真です)

10周年ライブで最後の最後にソロが回ってきて
かっこよくソロしたかったのですが・・

思い切り外しました・・

メンバーの皆さんすいませんでした

最後妻からは「あんたらしいわ」

もう少しメンタルを鍛えます


 
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会社概要

昭和29年創業 平成7年法人化

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個人プロフィール

趣味 旅行、サックス、ダイビング

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