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2020年08月27日(木)更新

形から入って心に至る

私は古典が好きで「大学」を好んで勉強しています。

格物致知、誠意正心、修身斉家、治国平天下と順番に
繋がっていくわけですが

平天下になるため
一番最初に大切なのは「物を格す」

解釈は色々あると思いますが

私は
「格す」とは
格子戸と同じで区画する。

如いては
「整頓する」
と解釈しています。

なので何より整理整頓が一番最初。

そして

「形から入って心に至る」

というのがしっくりきます。

弊社の経営計画書に
環境整備に関する方針があり
書いてあるのは

「形」が出来るようになれば
あとで「心」がついてくる

新入社員には
心の教育も大切ですが
先に「形」教育をやっております。


いわゆる3s
「環境整備」です。

そして
口は嘘をつくが形は嘘をつかない。

チェックするとすぐにわかります。

言ってることよりやってることですね。




弊社の現実現場はまだまだ発展途上です。

2020年08月26日(水)更新

社長の経験はコンテンツ

「社長の経験」は「コンテンツ」になるとの事。

なるほどと思います。

私の小さい会社でも様々チャレンジをしました

「遺品整理.com」という遺品整理の全国版ポータルマッチングサイト

これは資金と人材不足・・
自分の実力と熱意不足

反省は全国相手は無謀すぎた

「かたづけ名人」という整理専門屋

これは人件費が嵩む割に利益が出ない
もちろんやり方によりけりですが・・
若手を大量に入れて楽しくできました


反省はちょっとふざけすぎた

「DARUMA」というカンボジアでのリサイクルショップ

大阪の事業が資金的に傾いている中
起死回生を狙ったが・・
起死回生はあるわけなかった
また
物理的に距離がありすぎた・・

反省は大きな新規事業は社長が先頭になってやらないといけない
安直にやりすぎた

LED事業を始めとするライフサポート事業
これも仕組化でできずあえなく撤退・・

うまく軌道に乗ったのは
産業廃棄物の収集運搬計量化と
中間処理工場だけ

だいぶんと時間がかかりましたが・・

結局いいことをしてはダメ
成果の出る事をしないといけない。

と私の経営の師匠がおっしゃられます。

企業なので「成果」が必要で
成果とは花を咲かせることはなく実を成らすことです。

結果が出ないと
一生懸命やってくれた社員に本当に申し訳なく思います。

今年も経営計画発表会を行い(Webにて)
毎年ですがこの事を社員にお伝えしました。



「最後の利益責任は社長一人にあります。」

自分の経験値の中での自戒です。

そしてこの経験がコンテンツですが
やっぱり失敗の方がコンテンツになりますね。





 

2020年08月25日(火)更新

まずやる

先日同業者勉強会に行ったとき

ある社長が体験発表されていて
ひとつ気づかされたのが

「10年間毎日ブログを書かれている」

ということでした。

僕の目標である
ご自身のブランドができているという事実を目のあたりにし
また
2008年この経営者会報ブログをご紹介していただいた 
高嶋会長も未だに毎日書かれてご自身をブランド化されている。

本当にすごい方というのは
だれもができない事をするというより

「だれもができることを愚直にやり続ける」

この事がすごいと思います。

カッコよく
「このブログのコンセプトは?」
「気づきか?」
「目的は?」「成果は?」
「いい写真が・・」
「有効なタイトルは?」
とか考えたり

また
誰からかの評判とか一目を気にしたり

色々考えて結局
2か月空いてしまってました。

「まずやる」

「結果は10年後」
ということをもう一度心がけ

「白紙でもいい」

ということをしていこうと思いました。

本当にすごいことに気づかされました。
いい出会いができました。
初志貫徹でいこうと思います。

 

2020年06月11日(木)更新

コロナ禍で思うこと

新卒採用の説明会でよくいうのが

「弊社の仕事は必ず世の中の役にたっています」
とお伝えします

そして「みんなお客様は感謝してくださいます」

せっかくの機会なので
このコロナ渦で思ったことを書いてみます

この緊急事態宣言が解除されるまでの
約2か月間は生きた心地がしませんでした。
(もちろんまだ全然
終息に向かったとはいえませんが・・)

みなさんも同じだとは思いますが
一人でも感染すると我々のような小さい会社はどうなるか・・

毎日そればかりを考えていました

おかげさまで感染者はでませんでした
これも社員一人ひとりの自覚だと
本当に感謝しかありません

ただ改めて思ったのは
ゴミ回収は休めないし
感染リスクが大きい

巣ごもりしている一般のお客様の中にも
感染者の方がいるかも

お客様の指定病院は?

と思っていると

社員の一人が発熱・・
(結局大丈夫だったのですが)

次は社員の濃厚接触者に感染疑惑
(大丈夫でした・・)

また発熱・・
(大丈夫)

の繰り返しの日々でした

感染者が出たら
会社の存続が・・

まずはキャッシュが大切ですが

安倍首相や政府高官がどんな企業でも助けると言っても
言葉ばかり・・

現実は
政府系金融機関はしっかり審査されて
「全額は無理ですね」
という返答もあったり

いい加減なお調子者発言だと改めて思いました

今でこそ少し緩和されてきましたが
当初は大変でした

そして

そんな中でも
事業をやり続ける原動力は
「使命感」でした

何かのご縁で廃棄物処理業の息子に生まれた
自分には「使命感」があり

その使命感の中で

どんな事があっても
公衆衛生の秩序と生活環境の保全を行う

ため営業は続ける

逆に
ファイトがわいていました

しかし

やっぱりその私を支えてくれたのは
一つは出勤してくれる今いる社員でした

こんな中でも一日も休まず
愚痴も一つも言わず
明るく出勤してくれる社員の顔を見ると
本当に元気が出てきました

そして

その社員を支えてくださっているご家族の方には
どんなに感謝しても感謝しきれません

そして3つ目が
お客様からの感謝のお言葉です

「工場が開いててよかった」
「収集に来てくれてありがとう」

など

数数えられないほどの感謝も頂きました
(環境大臣からも頂きましたが)




結局
今回のコロナ渦で

私自身は
この仕事に誇りをさらに持てるようなった

と同時に
社員も自分の仕事に誇りを持ち始めていることが
できたのが
一番の収穫だったかもしれません

そして
お客様と社員とその家族に感謝を
さらにする
きっかけになりました

ありがとうございました









 

2020年05月19日(火)更新

経営の本質

資金難になったので
カンボジアの事業や片づけ名人など幅広く行っていた事業を
一旦ストップ
産業廃棄物処理に絞って経営を行いました。

また朝礼、終礼を毎日行い
社内木鶏会だけでなく、早朝勉強会週4回、
コニュニケーションをよくしていき

経営計画書を作成して
環境整備の3S活動を徹底的に行って
ベクトルを合わせるため社員教員に力を入れました。

その結果、翌年に廃プラスチックの中国の輸入禁止、
台風や地震など自然災害の外部要因も
重なり経常が黒字化して
経営危機を脱しました

「経営はなまもの」
油断するとたちまち傷む

「中小企業と屏風は広げ過ぎると倒れる」

結局は
「謙虚にして驕らず」

父が亡くなって
経営者になり10年経ち
実感しております。

今後は500本以上のブログのおかげでセミナー講師をさせて頂き
その経験を活かし環境コンサルタントを育成し
災害が多い時代にお役立ちできるBCP策定できる企業
になりたいとも思っています。

働き方については
定年になった社員が定年後も安心して
弊社で働いて頂け
昨年は有休消化率が50%も超え
離職者もこの一年ゼロになりました。

次は年間休日、平均年収が業界一になり、
社員は「ゴミ屋」という言葉に誇りを持つのは
むつかしいかもしれませんが、地球環境をよくして
持続可能な社会を創る貢献をする事で誇りを持ってもらい

「働きがい世界一」を目指します。

2020年05月08日(金)更新

いい会社をつくりましょう

弊社の社是は
「いい会社をつくりましょう」





お客様に喜んでいただく会社にする。
人間関係のいい会社にする。

そのために
社員一人ひとりの人間性を高めるのが
 一番だと思い

致知出版社の「致知」という人間学を学ぶ雑誌を使って
社内木鶏会を始めるようにいたしました。

廃棄物処理業の会社、特に弊社みたいな会社で
人間学の勉強会とは
夢みたいでキックオフ時は感動して
全員の前で泣きました。

しかし共感してくれる社員もいれば
??の社員もいたり
あからさまに反対社員ももちろんいました。

木鶏会導入には妹の反対が一番ありました。

「この人大丈夫か?頭狂ったんとちゃうか?」
という不安からだと思います。​

しかし共感してくれる社員のおかげで
続ける事ができ

今現在でも任意参加ですが
土曜日の終業後にも
かかわらず出席率85%を超える時もあり
本当に社員にありがたいというしかありません。

そして一番反対していた妹も
この7年間無欠勤です。
本当に感謝です。

しかし当時は
本当の組織づくりには程遠く

幹部社員とのもっと対話が必要と感じて
一泊の「幹部合宿」を行いました。

その時初めて腹を割ってくれた幹部から出た本音が
「結局社長は何がしたいのですか?」
「人間関係のいい会社を作りたいのか?儲かる会社をしたいのか?どっちが大事ですか?」

「どっちも大事」

と答えてもあまり納得する顔ではありませんでした。
社員の一番の関心事は給料であり、
そのために利益を出さないといけない。

しかし利益を出していないのに
勇気だけはついて楽しそうな私に
不満であったと思います。
(後で聞いた話ですが幹部の奥さんからの質問だったらしいです)

木鶏会のおかげもあり
社内の人間関係は良くなりまた売上も上がりました。
が、利益が上がらない。
お金がない・・こんな悩みを毎日持っていました。

 

 

2020年05月01日(金)更新

カンボジア事業スタート

7年前40代半ばで頭も心も体も充実してきた
私は新たな挑戦へ向かうことにいたしました。

そして此花区で800坪の土地を落札致しました。

しかし産廃許可取得の兼ね合いで前に進むことができず、
その間も家賃を一年以上払い続けていました。

焦った私は日本では廃棄物、まだ使える家財道具をカンボジアへ
空いてる土地を使って輸出するという事業を始めました。

元々銀行時代はトレードファイナンスの業務をやっていて、
いつか貿易業もしたいと思っていたので「J-PORT」と名づけ
定款にも入れてましたのでスムーズにいきました。

輸出だけはしていては
廃棄物を海外へ出しているだけ
無責任と思い、
現地にリサイクルショップをつくり売り切るまで
やろうと思いました。

既存社員がスタートアップしてくれて
その後1年間友人の弟が現地責任者としてやってくれました。
現地の社員を20名雇用、
みんな初めての挑戦でわからないことだらけでしたが
一生懸命やってくれました。

ただ業績は赤字でした。

カンボジア事業を始める前
「カンボジア人よりカンボジア在中の日本人にだまされる」
という話を聞いてました。

本当に騙されもしました。

しかし父との話を思い出して
「信頼」を一番大切にカンボジアでも商売を行うことだけは
きめてました。

「信頼をつなげる」

をぶれずに続けていくと利益を唆す
日本人はあきれて離れていき
カンボジアのスタッフ
とはいい関係が作れました。

本当に信頼を基に誠実に人と接する事は
世界共通で通用すると再確認しました。





 

2020年04月24日(金)更新

経営理念の作り方

論語に
さいう。三年さんねんは、すでひさし。くん三年さんねんれいさざれば、れいかならやぶれん。三年さんねんがくさざれば、がくかならくずれん。旧穀きゅうこくすできて、新穀しんこくすでみのる。すいりてあらたむ。にしてむべし。いわく、いねくらい、にしきる、なんじおいやすきか。いわく、やすし。なんじやすくばすなわこれせ。くんるや、うまきをくらえどもあまからず、がくけどもたのしからず、居処きょしょやすからず。ゆえさざるなり。いまなんじやすくばすなわこれせ。さいず。いわく、じんなるや。うまれて三年さんねんしかのち父母ふぼふところよりまぬがる。三年さんねんは、てん通喪つうそうなり。父母ふぼ三年さんねんあいらんか。
「喪中三年は何もするな」
とありますが

十年前に父が逝去した際
一年改革は自粛しました。

ただ喪中も社内改革のことばかり
考えていました。

ただ
急に改革をすると
いままで頑張って父を支えてくださった
先輩従業員に申し訳がたたず

このお客様対応とサービスでは
会社が沈没する

迷っていましたが

その指針になったのは
経営理念でした。

父が亡くなる前に

『父が何を大切に経営してきたか?』

を聞けたことは本当に良かったことでした。

当時私が社長になってすぐ
経営理念を作ろうと父と話をした時、

「何を大切にして経営をしてきた?」

ダイレクトに聞くと、

「あれがあかん」「これはどうなってんねん」

という今の課題の話を・・

なかなか前にすすまず永延4時間。

でも諦めずに
何回も何回も聞いているうちに

「そうやな 信頼かな」

と答えてくれました。

「えっ 信頼とは?信頼されること?」
と聞くと、

「こちらから信頼をすることや」

やっとここで現在の
弊社の一番大切な

「信頼をつなぐ」

という言葉に出会いました。

ですので
先輩社員さんには
どんなことがあっても

「こちらから信頼をする」

というスタンスを変えずいようと思いました。

ただ
若手社員の教育は
時代に合わせていきたいので
「勇気づけ」をして
主体的な社員の育成。

社員の話は必ず最後まで聞くようにし、
また彼らが自主的に決めたことには
会社の命に支障がないのであれば
結末まで見届け自信をつけてもらう。

責任は私です。

そして次の社内改革は
「改善提案書」
を始めました。

今では週30通くらい改善案が来ますが

当時は
「トイレにペーパーがない」
など主体性とは離れた
依存的人の会社への不満が多く
こちらのマインドが参ってしまいました。

そして社員総会を行い社員表彰も始めました。

全社員が投票する社員MVP。

社員表彰はそれなりに盛り上がっていき

社員旅行も復活しました。

30年以上前にはあったのですが・・
当時の従業員が酔っぱらって社長の父に
「いいかっこするな」
お膳をひっくり返し・・

そこから中止。

それ以来カードをレストランに預け各家族で食事をする
というのが弊社の忘年会になっていました。

本当に復活できるかと
当初は少数の参加でしたが
今年は全社員がバスに乗って
温泉に行くようになりました。

2020年04月17日(金)更新

父との別れ

改革をすればするほど
病気の父との距離は開いていきました。

最終的に父との戦いは亡くなる前日まで続きました。
父には会社が励みでした。
腎臓透析が終われば現場に来て陣頭指揮。

私が朝に指示して変える、夕方帰るとまた元通り。
聞くと「会長が」と。機械が増えていく。

「もうお金ないで」
と妹が父に伝えると

「なんでそんなに借りるねん」
と言う始末。

父には長生きしてもらいたい。

会社には来てもらいたいのですが、
会社内はめちゃくちゃ混乱し従業員も大変でした。
しかし従業員は父を尊敬し愛していたので私は何も言えず
逆にコンプレックスだけ刺激されました。

自分自身賞味期限が切れないようにと
音楽の趣味をつくりました。

すると父は母に
「茂はいつもおらん。仕事せいへん」
と言って母との関係も悪くなりました。

親戚にも呼び出され
「何をやっているかわからん」
と言われました。

しかしその中で妹は私の理解者になってくれるようになりました。

またこの理不尽な事を全世界へ言ってやろう
このブログを書き出し始めたりしました。

それが業界では新たな取り組みと注目されるようになり、
業界のマスコミやコンサル会社から
セミナー講師の依頼をされることもありました。

その時の受講者のフィードバックも

「勇気ですね」
と言われ凄く嬉しく思いました。

父との最後は会議のなかった会社が幹部社員4名で
業務時間内に会議を行っていた際、
それが気に入らない父は大きくクラクションを鳴らして
「片付けなアカンで」
と去っていきました。

父との最後の別れでした。
翌日の日曜日に母から訃報が来ました。
病院に駆けつけるとあっけなく心筋梗塞で亡くなっていました。
葬儀場の前の道は二日間、
弔問客で大渋滞ができるほど
各方面の方々から弔問に来ていただきました。

本当にわがままで好きなことをやった父ですが
人から慕われる人格者でした。
ある意味
してやったり」の人生だったかもしれません。

本当に今でも尊敬をしております。

 

2020年04月15日(水)更新

ジェイブリッジ設立

「私はできるかもしれない」
ブリッジ(橋)をかける。
その意味で
2008年に株式会社ジェイブリッジ
を創業いたしました。

「人と共に生きる会社」
それは未来の城東衛生、ジェイ・ポートで
「私の代ではこんな会社にする」
という映画の予告編みたいなものでした。

若者を集めてスタート
楽しい会社になりましたが
あまりの自由さで無法地帯でした

丸投げでもちろん業績は大赤字。
若い従業員は自由をはき違えていましたし
私の理想はあくまでも理想でした
現実は厳しかった・・

ここでの反省は
社員がある一定のレベルに達しない場合は
教育、管理が必要だと感じました。

その頃、​父は2日に一回腎臓透析を始めだしました。
そして42歳で有限会社城東衛生の社長交代をおこないました。

食事会を開き全従業員の前で私はメッセージ
「みんなの会社にします」
と宣言しました。

すると
最後に父がマイクをとり

「まぁ何にも変わらないのでよろしくお願いしますわ」

「・・・」

私の社長になった目標はアドラー心理学を使う経営。
アドラーの基本は「勇気づけ」です。
父は凄い人だったのですが
ある意味「勇気くじき」の天才でした。

多分
バカ息子が理想ばかりのことを言って
従業員が離れる
また従業員が不安になると思って
言ってくれていたのですが・・

ただ私は
「せっかく社長をやるからには」
と肚が決まってましたので
やりたかった事の実践へ移しました。

まずは
「みんなの会社」
ということを公言したので
大家族主義を実践したいと思っていました。

しかし
ある日「社員は家族」と口では言っておきながら、
社員の誕生日を全く知らないことに気づきました。

そのため強面の古参社員にも
喜んでもらうために品がないですが
現金一万円を渡す事を始めました。
「なんやこれ」
という顔をしていましたが現金はさすがに喜んでいました。

なんとか誕生日をお祝いする文化を作れました。
これには真の目標があり
還暦になった創業から今まで一番お世話になった
親戚社員のお祝いを会社ですることでした。

父も参加しました。
バースディケーキのろうそくが消えるまで父は昔話を・・
主役を奪って主役は苦笑い・・

 

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会社概要

昭和29年創業 平成7年法人化

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個人プロフィール

趣味 旅行、サックス、ダイビング

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